「支える人」
こんな男がいることを、こんな生き方があることを、傷つき打ちのめされ絶望にひんしている若者へ、
人波に疲れ眠れない夜を過ごしている若者へ、少しだけ知って欲しいのだ、
千葉に生まれ育った彼は誰もがそうあるように白球を情熱のかぎりに追いかけていた
最後の夏の大会前に監督に呼ばれた、
選手を辞めてマネージャーになってくれないかということだった、
彼は生まれて初めて悲しみと悔しさに包まれそのエネルギーは怒りへと変わった、
もともと自己主張が得意なほうではなかったが彼は吠えるように、私はマネージャーになるために
ここに来たんじゃありません、
野球をやるためにここに来たんです、お断りします。もちろん試合に出れることはなく高校時代は終わった、
彼には人にない才能があった努力という才能は知識を豊にし、勉学意欲は彼の未来を切り拓いた、
大学卒業後は彼の知能に興味を示した日本各地の関係者がオファーをし、彼は導かれるように全国を渡り歩いた、
縁もゆかりもない久留米に住まいを構え日々の仕事に能力をフルに活用していた時に彼を心の病いが襲った、
出口の見えない苦しみだった、そんな時創成期の経営不振が続くサガン鳥栖の応援に誘われた、
大声を出し拍手を繰り返すことでかすかな光が見えたというのだ、
応援という無形の価値観が彼を救ったのだ、すぐに少しでも力になればと思い年間シートを買ったそうだ、
そしてまた導かれるようにオファーに伴い街を移り変わると2019ラグビーワールドカップの運営委員の募集があった、
この頃になると本能的に誰かの手助けになりたい、手助けすることで誰かが笑みをこぼす、それだけで幸せだった、
彼はいまだに台風で中止になったナミビア対カナダ戦の開催を目指している、両選手達の為にも釜石の方々の為にも。
余談だがカナダチームは台風で被災した方々を助けるボランティア活動を泥まみれになりながら行った、
そこにまた無形の絆が産まれた瞬間だった、
彼のスポーツボランティアへの情熱は加速的にヒートアップしていった、
2023WBCチェコチームへのサポートチームへと加わった、
勘違いしないでほしいどれも本業の合間を縫っての行動なのだ、
キャンプ地の関東から宮崎へ安い交通手段の陸路を利用しながら、彼は本気でチェコチームに接した、
その後のチェコチームの日本、日本人への感謝の報道のそのほとんどが彼への気持ちだったということを私は知っている。
彼が握りしめていたチェコチームのサインボールが汗ばんでいた。埼玉ワイルドナイツ、ブラインドサッカー、
世界パラリンピック陸上と彼の縁の下サポートはとどまることを忘れてしまったようだった、
そして野球部の監督からマネージャーになることをすすめられてから42年、かねてから携わってきた東南アジアの各国が国技とする、
セパタクローの日本代表のサポートが実を結ぶ日がやって来たのだ。愛知、名古屋アジア大会、実質世界一決定戦、強豪インドネシアをフルセットで破り悲願でありまさに快挙とも呼ぶべき金メダルを獲得したのだ、90年の北京大会から数えて36年目の世界一を獲得したのだ。
日本コールの歓喜、そして表彰式での君が代終了後の脇の通路で選手達が彼に金メダルを首にかけてくれたそうだ、
その日の夕暮れはやけに夕陽が赤く燃えていたそうだ、感無量、まさに感無量の瞬間だったそうだ
自分が、自分の人生が、どうして自分ばかりが思い悩む若者よ自分の置かれた場所や環境は一旦忘れて、自分が少しだけ動くことによって誰かに笑みが生まれると思うと、ちょっとだけ楽になるんじゃないかな、そんなことを彼は知ってしまったのかもしれない
そして彼はまた次の街へと
歩いていく、誰かを支える為に。
こんな男がいることを、こんな生き方があることを、傷つき打ちのめされ絶望にひんしている若者へ、
人波に疲れ眠れない夜を過ごしている若者へ、少しだけ知って欲しいのだ、
千葉に生まれ育った彼は誰もがそうあるように白球を情熱のかぎりに追いかけていた
最後の夏の大会前に監督に呼ばれた、
選手を辞めてマネージャーになってくれないかということだった、
彼は生まれて初めて悲しみと悔しさに包まれそのエネルギーは怒りへと変わった、
もともと自己主張が得意なほうではなかったが彼は吠えるように、私はマネージャーになるために
ここに来たんじゃありません、
野球をやるためにここに来たんです、お断りします。もちろん試合に出れることはなく高校時代は終わった、
彼には人にない才能があった努力という才能は知識を豊にし、勉学意欲は彼の未来を切り拓いた、
大学卒業後は彼の知能に興味を示した日本各地の関係者がオファーをし、彼は導かれるように全国を渡り歩いた、
縁もゆかりもない久留米に住まいを構え日々の仕事に能力をフルに活用していた時に彼を心の病いが襲った、
出口の見えない苦しみだった、そんな時創成期の経営不振が続くサガン鳥栖の応援に誘われた、
大声を出し拍手を繰り返すことでかすかな光が見えたというのだ、
応援という無形の価値観が彼を救ったのだ、すぐに少しでも力になればと思い年間シートを買ったそうだ、
そしてまた導かれるようにオファーに伴い街を移り変わると2019ラグビーワールドカップの運営委員の募集があった、
この頃になると本能的に誰かの手助けになりたい、手助けすることで誰かが笑みをこぼす、それだけで幸せだった、
彼はいまだに台風で中止になったナミビア対カナダ戦の開催を目指している、両選手達の為にも釜石の方々の為にも。
余談だがカナダチームは台風で被災した方々を助けるボランティア活動を泥まみれになりながら行った、
そこにまた無形の絆が産まれた瞬間だった、
彼のスポーツボランティアへの情熱は加速的にヒートアップしていった、
2023WBCチェコチームへのサポートチームへと加わった、
勘違いしないでほしいどれも本業の合間を縫っての行動なのだ、
キャンプ地の関東から宮崎へ安い交通手段の陸路を利用しながら、彼は本気でチェコチームに接した、
その後のチェコチームの日本、日本人への感謝の報道のそのほとんどが彼への気持ちだったということを私は知っている。
彼が握りしめていたチェコチームのサインボールが汗ばんでいた。埼玉ワイルドナイツ、ブラインドサッカー、
世界パラリンピック陸上と彼の縁の下サポートはとどまることを忘れてしまったようだった、
そして野球部の監督からマネージャーになることをすすめられてから42年、かねてから携わってきた東南アジアの各国が国技とする、
セパタクローの日本代表のサポートが実を結ぶ日がやって来たのだ。愛知、名古屋アジア大会、実質世界一決定戦、強豪インドネシアをフルセットで破り悲願でありまさに快挙とも呼ぶべき金メダルを獲得したのだ、90年の北京大会から数えて36年目の世界一を獲得したのだ。
日本コールの歓喜、そして表彰式での君が代終了後の脇の通路で選手達が彼に金メダルを首にかけてくれたそうだ、
その日の夕暮れはやけに夕陽が赤く燃えていたそうだ、感無量、まさに感無量の瞬間だったそうだ
自分が、自分の人生が、どうして自分ばかりが思い悩む若者よ自分の置かれた場所や環境は一旦忘れて、自分が少しだけ動くことによって誰かに笑みが生まれると思うと、ちょっとだけ楽になるんじゃないかな、そんなことを彼は知ってしまったのかもしれない
そして彼はまた次の街へと
歩いていく、誰かを支える為に。
このコーナーを設けるきっかけとなった川辺氏との出会いはもうかれこれ15年くらい前に遡る。Facebookで福大OBOGの会が結成され私も参加したことで川辺氏と友人に。以来Facebook上にて投稿される内容に深く興味をそそられ、この人物にどうしても会ってみたいということで新年早々お会いする機会に恵まれた。以来神戸からわざわざ鳥栖までラーメンを食べにくる先輩がいるということで(笑)、Facebookで繋がった福大OBが集う場に。とにかく空手家であり、ラーメン屋の大将でありながら小説も書くという。それもそれぞれの分野にて秀でている。川辺さんの短編小説は内容が濃い。魂が注入されているかのようで、軽く読めない。腰を据えて読んだことを思い出す。今回自分のホームページを作るにあたって是非川辺さんの短編小説コーナーは作りたいなと考えていて、川辺さんにそのことを伝えると、いまはもう小説は書いていませんが、球磨川繊月文庫としてFacebook上にプライベートグループを作ってるので参考までにと招待していただいた。
このコーナーは川辺さんの過去の繊月文庫への投稿をそのまま紹介するものです。